不妊検査 |
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顕微授精 |
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妊 娠 1 |
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妊 娠 2 |
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出 産 |
@はじめに A子供がほしい B卵管造影検査 Cクマ様検査 Dその他の検査 E様々な葛藤 |
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@加藤レディース クリニック A顕微授精 BKLC卒業 |
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@出産予定日 AK島産婦人科 Bつわり C胎動 Dパパママ学級 |
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E通勤 F退職 G切迫早産 H正期産 |
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@4月4日 A4月5日 Bついに本番 C出産を終えて |
E 通勤 |
結婚してからは船橋から横浜まで片道2時間かけて通勤をしていました。ただでさえハードな毎日。朝6時に家を出て、帰りは19〜22時。睡眠時間が足りませんでした。
総武線は朝6時でも座ることができません。つわりも重なり立っているのも辛かったので、途中から朝だけグリーン車両を使うことにしました。毎日950円を出すのは金銭的にも大変でした。でも安全と体力には変えられない。
しかし横浜市営地下鉄はグリーンがないので座る事ができませんでした。女性専用車両に乗っていましたが、妊娠初期のペタンコのお腹には誰も気づくわけがありません。毎朝の事なので、自分から「譲ってください」とは言えませんでした。
電車の中では、貧血で意識がなくなりそうになった事や、「おぇ〜」ってなりそうな事も何度もありました。バックには常にビニール袋。自分でも気持ち悪くなるタイミングがわからなかったので冷や冷やしていました。
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F 退職 |
平成17年12月29日付で、5年半勤めた会社を退職しました。妊娠7ヶ月の時です。
職場では人間関係に恵まれて、楽しく働くことができました。できる事ならずっとずっと勤めていたかったです。みんなに「おめでとう」と見送ってもらえて、私は本当に幸せだなと思いました。
しかし正直、自分の収入がなくなる事はショックでした。もちろん育児が落ち着いたら社会復帰したいと思っていますが、やっぱり今後は生活が苦しくなるのではないかと不安です。
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G 切迫早産 |
年が明けて、1月からは( ̄(エ) ̄)様の実家の会計事務所のお手伝いを始めました。フルタイムの時のように忙しい毎日ではありましたが、充実していました。夫婦で行動を共にするので、いつ出産になっても対応してもらえるから安心でした。
料理も覚え始めました。今までは( ̄(エ) ̄)様が作って、私がかたづけというパターンで来ていましたが、ここへ来てやっと覚える気になりました。でも砂糖と塩は間違えるわ、火が怖いわで、やっぱり料理は好きになれそうにもありません。
2月最初の検診(妊娠9ヶ月)で、「赤ちゃんが下りてきている。このまま出てきちゃうのはまだ早いから、家事も外出もダメ!」と先生に言われてしまいました。会計事務所のお手伝いもできなくなった上に、家でも何もしてはいけないことになってしまいました。
確かにこの時コグマちゃんはまだ1500グラムほどだったので、未熟児で出てきてしまってはかわいそうです。お腹の張り止めを毎食後飲み、家で大人しくする日々が始まりました。
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H 正期産 |
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不妊治療でやっと授かったという思いのせいかもしれませんが、不安要素は最初から最後まで続きました。私は過敏に反応してしまって不安だらけでした。
初期 胎嚢(赤ちゃんの入っている袋)の成長が遅かった。
中期 お腹が全然出てこない。
先生や周囲の人から「小さいね」と言われ続ける。
後期 検診で先生に「赤ちゃんが小さい。羊水も少ない。
切迫早産。」と言われ続ける。
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そんな私も本日無事に37週を迎えました。「正期産」と言ってもういつ産まれても大丈夫な期間です。早産は免れました。先週の検診ではコグマちゃんは2400グラム。もう少し大きくなってから出てきてほしいかな。
性別は男の子です。妊娠5ヶ月の時にわかりました。名前も決めました。
でも予定日は3月30日。男の子だからなぁ〜、4月生まれの方がいいかなぁ〜〜?
こればかりは親が決めることはできないので、のんびり構えて、残りの妊婦生活を過ごしたいと思っています。
(記 平成18年3月9日)
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